看護師を目指したきっかけ

経験

2014.01.10
看護師 福岡県在住

私が「看護師」という「職業」を「目指そう」と思うようになったのは「高校生」の頃でした。それまで、特に幼少期には、「血を見ることが怖く」兄弟や友達がすりむいたり怪我をして出る「血」さえも見ることができずに怖がり、見れば「貧血」を「起こして倒れる」というほどでした。そんな私が現在の様に「看護主任」にまでになり働き続けられているという事はあの当時は全く想像もできずにその上、まさか、「看護師を目指す」ことになるとはあの時は思ってもいませんでした。

ところが、私自身、家庭内で「長女」という「立場」にあるという事もあってなのか学校でも何かとリーダー的なポジションにあり怪我や体調の悪い友達を 保健室に連れて行く等「お世話」や「誰かの為に何かをする」事が「好き」でクラスでは「保健委員」として、又「学級委員」を牽引し、クラスの皆の為に、又「放送部」としても給食の時間に、校内連絡をはじめとし、コーナーを設け、「お昼の食事の時間を楽しくする」をモットーに頑張ることができました。

そして高校生になり将来の進路を考えたときに昔から人の「お世話」や「誰かの為に何かする」ことが好きだったので迷わず「看護科」を選びました。「高校時代」は男子に混ざり女子部員「私一人」という中で剣道部に所属し朝は早くから、朝練の為に雨の日も雪の日も風の日も、台風で学校が休みの日 以外は防具を担ぎ自転車で3年間通い、遅くまで男子と対戦し、玉竜旗に出られた事、そして団体戦準優勝までいけたことが私の人生の糧となりました。

そしてこの「3年間やり遂げられた」という経験はいまでも、不規則でハードという看護師の仕事も患者さんの「ありがとう」という言葉や笑顔、患者さんが話してくれる今までの半生や故郷の話、そして悩みや相談(頼ってくれている)という嬉しさ、退院して行く時の嬉しそうな顔や院外で再開した時、元気そうにしている姿近くに来たからと態々会いに来てくれた事が励みとなり、又やりがいにもなり頑張ることができています。
看護師を目指したきっかけ

さまざまな経験を経て

2014.01.09
看護師 福岡県在住
 
看護師を目指したきっかけ 私は小さい頃からアニメや漫画が好きでした。それもあってか小さい頃の夢は声優か漫画家でした。中学卒業する時どこの高校へ行くか迷っていると親から看護師になりなさいと言われました。ですが、私は看護師にまったく興味がありませんでしたので、美術の専門学校に行きたいといいました。しかし親からのある一言で看護師を目指すことになりました。それはずばり「看護師の免許をとればなんでもしていい。」とい言葉です。

私は高校の看護科、専攻科を経て正看護師になりました。20で看護師になり3年間お金を貯め留学を経験しました。その後も働き、また留学しました。同じ職場でまじめに働いている人には申し訳ないかもしれませんが、留学後は短期で色々な職場を体験しました。そこで自分にあった職場がわかったり、そこ独特なものも体験できました。私が今まで働いたのは大学病院の手術室、総合病院の手術室とCT外来、個人経営の産婦人科、デイケアサービス、訪問看護、診療所、入浴訪問、単発の予防接種や健康診断、保育園です。なぜ仕事を転々としているかというと実は現在非常勤で日本語教師をしているのです。日本語教師は毎日ありませんから週3位他のアルバイトをする必要があります。

大卒ではないのでなかなか常勤の募集がありません。看護師は高卒でも資格があればいいのに差別を感じますが、決まりなのでしかたがありません。日本語教師は5年前からの夢でした。それは留学を体験してから生じた夢です。今後も仕事をしていく中で新しく夢が生じる可能性はありますが、今は今の仕事に全力投球です。看護師は夢ではありませんでしたが資格があることでアルバイトを探しやすく今となっては看護師の資格をとってよかったと感じています。海外で生活してわかったのは日本は資格社会だなぁということです。海外はまだ学歴第一です。海外で日本でとった看護師の資格は無効でちょっと残念ですが、看護師の資格をとることは無駄ではないと思います。

ただ、大学は出ている方がお給料の面や求人の関係でいいかと思います。私は5年前に通信制大学に入学しました。来年卒業できそうです。晴れて大卒になります。元々は海外で日本語教師をする際にビザの関係で必要だったからです。ここでも学歴社会を実感しました。日本でも徐々に大卒が増えていますから通信でいでもいいので大学を卒業しておくのはお勧めです。仕事しながらでのできますから親に迷惑がかかりません。自分のお金なので頑張ろうという気持ちにもなります。これから看護師になる皆さんの中には私と同じように「看護師じゃなく他のことをしたい」という人は大勢いると思いますが、今後の人生を考えると、資格をとっておくのはちょっとお勧めです!!
看護師を目指したきっかけ

大好きな叔母

2014.01.09
看護師 長崎県在住 28歳

私が看護師を目指し始めたのは高校3年生の時です。母が元々看護師だったため、その姿を見て看護師になりたいという願望はありました。しかし、私にはもう1つ将来目指したい仕事があり、進路について悩んでいました。ちょうどその頃、大好きな叔母が癌を患い闘病生活を始めました。叔母は結婚せず独身であったため、私にとっては年の離れた姉のような存在でした。いつも優しく声をかけてくれる叔母、県外に住んでいるのでなかなか会える機会はありませんでしたが、入院中両親とお見舞いに行くことがありました。

抗癌剤治療で抜けた髪、痩せた叔母を見るのは高校生の私にとって衝撃的な出来事でした。治療中であったため、今思うときつかったと思いますが、叔母は笑顔で私に接してくれました。それはいつもと変わらない叔母の姿でした。そして大好きな叔母のために私は何もしてあげれない、何か出来ることはないかと考えるようになりました。もし私が看護師になったら叔母の看病が出来る、傍で支えることが出来ると思い、看護師の道に進むことを強く願うようになりました。

進路を決めるのが遅かったため、そこから看護学校の受験の準備が始まり、慌しい毎日が始まりました。辛い受験生活、入学してからの慣れない一人暮らし・看護学校での勉強、私にとって試練のときでした。看護学校2年目、母からの連絡があり、叔母が亡くなったことを聞かされました。最初は信じられませんでした。そして私はまだ何も出来ていない、何もしてあげれていないと悔しさと悲しみで心がいっぱいでした。しかし、叔母は私が看護師になるのを本当に楽しみにしていたと両親から聞きました。私はその言葉を胸にひめ、看護実習や国家試験に全力で取り組みました。

無事国家試験に合格し、最初に就職した病院は大学病院でした。癌患者も多く、接し方や看護の方法について毎日悩むことが多かったことを今でも覚えています。先輩からよく言われてたことは「患者様が自分の家族だったらどんな看護をして欲しいか」ということでした。叔母にしてあげられなかった分、今病気と闘っている患者様に対して少しでも自分の看護で元気を与えられる、支えになれるような看護師になりたい。何年経ってもこの時の気持ちを忘れない看護師でいようと思いました。私は今の仕事を選んだことを本当に良かったと思います。自分の天職であるとも思います。これからも笑顔を絶やさない看護師でいたいと思います。
看護師を目指したきっかけ

『ぼくジョナサン、エイズなの』

2014.01.09
 看護師 東京都在住 26歳

私が最初に医療に興味を持ったのは、小学校三年生のときです。担任の先生が『ぼくジョナサン、エイズなの』という本をクラスのみんなに紹介してくれたことがきっかけでした。それまで『エイズ』という言葉も聞いたことのなかった小学校三年生の私にとって、薬を飲んだり治療をしても治らない病気があるということは、とても衝撃的でした。そのときから、漠然と医療に関わる仕事を将来したいなぁと思うようになりました。

その後、普通高校に進学し、運動部のマネージャーをすることになりました。きっかけは友達に誘われたことで、始めた当初はそれほど強い思いもありませんでした。しかし、マネージャーを始めてみると、一生懸命に部活動をしている姿やとても楽しそうにプレーしている姿を身近に見て、少しでも部員の力になりたいと思うようになっていました。部活動をサポートしていく中で、部員がけがをしたり体調が悪くなる場面が多くありました。心配な気持ちと、何か力になりたいと思う気持ちはあるものの、知識も技術もない高校生の私には見ているだけで、何もすることができませんでした。そのような場面に出くわす度、何もできない自分が悔しく、身近で支えることのできる看護師を目指す気持ちが増えていきました。また、高校時代の仲の良い友人の中に、何人か同じく看護師を目指す友人がいました。その友人たちに出会えたことも、看護師になりたいという気持ちを後押ししてくれました。

さらに、部活動の中で看護師として重要となる経験もありました。それは『笑顔』の重要性です。部活動をしている部員たちは本当に楽しそうで、いつも笑顔でプレーしていました。私は今までに、そこまで一生懸命になれることに出会ったこともなかったので、一生懸命に頑張っている部員たちがとても素敵に見えました。どんなに疲れているときや落ち込んでいるときでも、部活動に出ると、いつもみんなから元気をもらい、自然と笑顔になっていました。一生懸命頑張ることの重要性はもちろんのこと、笑顔の大切さを実感しました。みんなの笑顔で自分が笑顔になれる、私も周りの人を笑顔にできる人になりたいと考えるようになりました。

看護師として働く今も、高校時代の友人たちとは定期的に会い、いつも元気をもらっています。職場では、常に笑顔で仕事をしようと思うことができています。 小学生のときに紹介してくれた本がなかったら、高校生のときの部活動がなかったら、今の看護師としての自分はいないと思います。きっかけはとても偶然でしたが、その偶然にとても感謝しています。
看護師を目指したきっかけ

みんなが幸せになれるといいな

2014.01.09
 看護師 兵庫県在住 28歳

小さい時に見たテレビ番組です。ノンフィクションで実際の医療現場で活躍する看護師に小学生ながらも感動した。それからドキュメンタリー番組が好きになり、海外で活躍する看護師や、災害現場で活躍する看護師に憧れを抱いた。看護師になりたいという思いが実り、なんとか無事看護師になることが出来た。 現在は看護師歴八年目。昔見た医療現場で活躍する看護師みたいになれているのか?

自分でも看護師としての自分を模索中である。以前はたらいていた病棟では毎日忙しくはたらき、自分が一体どうしたいのか、看護師としてどうありたいのか悩んだ時もあった。七年目に同じ病院、病棟ではたらき続けていた仕事をやめた。理由は自分の人生を見つめ直したかったから。闇雲に毎日の業務に追われ看護師としての自分がわからなくなり、卵巣嚢腫が見つかり、手術しなければならないときに色々考えた結果、人生一度きり楽しまなければいみがないと身を持って思い退職を決心した。そして、以前からしてみたかった留学、旅行と自分の時間を思う存分楽しんだ。

発展途上国での医療ボランティアに参加をし、自分の中での意識、考えが変わった。何がどう変わったのかと問われると難しいけれど、たくさんの感性を学ぶことが出来た。と同時に日本っていかに恵まれているのか身を持って体験出来、自分の当たり前と思っていた甘ったれた生活が恥ずかしく感じた。日本は当たり前のことが当たり前になっていて、物がありあふれ、幸せを感じることが出来てない。発展途上国では、日本で当たり前のことがまったく当たり前ではなく毎日必死に生きていた。けれど現地の人の笑顔に本当に救われた。屈託のない笑顔、言葉は通じないけど、なにが通じる物があった。そんな発展途上国の家族をみると自分がどうしたらいいのか、本当に考えた。

自分がただ日本に生まれ、恵まれた生活をできている。環境が違うだけでこんなに違うのか。たくさんの葛藤があった。看護師として今、働けていることに感謝し、当たり前の恵まれた生活に幸せを感じることができた。多分現地に行かなければそんなことも考えなかったであろう。今後も自分の中で模索し続けるだろう看護師としての自分。何ができるかわからないけれど、少しでもたくさんの人の手助けできる、そして、当たり前のことに幸せを感じれる、感性豊かな看護師になりたいと思う。一度きりの人生、楽しく悔いなく、みんなが幸せになれるといいなと願う。

 
看護師を目指したきっかけ

誰かの為に…

2014.01.08
 看護師 大阪府在住 28歳

小さい頃から、母親が看護師として働く姿を見て、職場に一緒に行ったり、迎えに行ったりして過ごしてきました。その事もあってか、保育園の時から、大きくなったら看護師になりたいと言っていました。しかし、実際は、高校の進路選択の際に、医療系か製菓学校という全く違う分野で悩むこともありました。自分がしたいことは何か、今できることは何かと考え、家族にも相談し、製菓学校の学費と行きたかった学校の応募に間に合わず、看護学校の推薦を受けることになりました。

進学するまでは、海外で誰かのために、何かの役に立ちたいという思いから、自衛官の試験も受けたのですが、テロが多発している時期でもあり、母と祖母は猛反対でした。医療系という分野で、給与をもらいながら、自分で働き、学ぶこともでき、海外派遣も有得る自衛官という仕事には魅力を感じたのですが、看護専門学校に進学することにしました。元々、生物学が好きで、人体の構造には興味もあったので、医療的なことを学ぶの楽しかったです。その中で、やはり、人と関わりをもち、自分の関わりによって、相手が喜んでくれる、笑顔になってくれるというのは、とても嬉しく、頑張った甲斐があったと感じました。

実習中は、寝る時間も少なく、常に課題をこなしたり、実習をしたりで、本当に忙しく、グループワークで自己を見つめるというつらい経験もしました。母の姿を見ている時は、いつも消毒薬の匂いがする手、遅くに帰宅する様子から、何が楽しいのだろうと思うこともありました。実習を行う中でも、排泄管理であったり、歩行の介助、看護師でなくてもできるんではないかと思うこともありましたが、看護師にしかできないケアもありました。

患者さんの一番近くにいる存在として、その人の生活にあったケア、その人の癖や特徴を捉えて、どのようにしたら良いかという工夫。一緒に考えて、自宅での生活に向けて他のスタッフとも協働していくこと。常に人の生命に関わり、大変な面もありますが、誰かの為に何かができるということ、何かの力になれるということは自分自身の喜びにもつながっています。

頑張って考えたこと、実践して、調整を行いながら、患者さん本人や家族が喜んでくれたり、笑ってくれる表情が嬉しくて、毎日やりがいを感じられるわけではなく、大変なこともたくさんありますが、今は、自分に出来ることを考えて、看護師になって良かったと感じています。
看護師を目指したきっかけ

先生

2014.01.08
 看護師 広島県在住 29歳

私が看護師を目指そうと思ったのは、高校生のときである。進路に悩んでいたときに友人の付き添いでいった近くの看護科のある大学での説明会に参加したことがきっかけである。それまでは医療系には興味があったものの、看護師というのは大変そうであまり魅力を感じる職業ではないように感じていた。しかし、友達の付き添いでいった大学の説明会で看護師が自分が思っていたものよりも、とてもやりがいのあるように感じた。看護師という仕事をそれまではよくわかっていなかったが、その大学の説明会で看護師の仕事内容だったり、看護師になるためにはどのようなことを学ぶかということを知った。

思っていたよりも、看護師になるためには色々な勉強が必要で、医療の知識を得て資格を取るまでは大変そうだと感じた。大学の説明会が終わったあと、特別に看護学の先生にお話しを聞くことができた。その先生は、看護師として病院でキャリアを積んだあと、今は学校で研究や教育を行っているとのことだった。この先生との出会いが私の今後の人生を決めたのである。この先生との出合いで自分が看護師になろうと決めたのである。この先生に出会っていなければおそらく自分は看護師になってはいなかっただろう。

自分の人生を決めたその先生は、自分の仕事についてや、看護師という仕事がどんな仕事かということをひとつひとつ丁寧に時間をとって説明してくれた。なにより印象的であったのが、自分の仕事に対してとても誇りをもっておられたということである。自分の仕事は大変ではあるがそのぶんとてもやりがいがあることを話された。自分が仕事をえらぶときに、誇れるような仕事がしたいと思っていた私には、看護師という仕事がとても魅力的なものに感じた。そして、自分の仕事をこのように他のひとに楽しいよ、やりがいのある仕事だよと、自分も仕事を始めたら言えるようになりたいと感じた。

看護師というのは、人のいのちに関わるとても大変な仕事ではある。自分が看護の道にすすみ、その命の重さに押し潰されそうな、逃げ出したいように感じるときも正直ある。ただ、自分は看護師の道を選んだことには、ひとつも後悔はしていない。それには、やはり自分も人生を変えた先生との出会いがあり、自分もそうなりたいという目標があるからである。自分はまだ看護師の道を歩み始めたが、まだまだ一人前とまではいかない。今後も大変なこともあるだろうが、なぜ自分が看護師を目指したかということを忘れずにやっていきたい。
看護師を目指したきっかけ

優しい看護婦さん

2014.01.08
看護師 滋賀県在住 41歳

看護師を目指したきっかけ、というよりも看護観ともいえるだろうし、これからのやりがいともいえるだろう。  私が看護師を目指したきっかけは、3歳か、4歳の頃先日なくなった祖母の家に行った時の事、車から降り道を渡った所に運悪く車が走ってきた。接触したのか、転んだ拍子だったのか今ではハッキリしないが、その時、骨折。恐らく脛腓骨骨折だったのだろう。

入院し牽引をして治療。ギプスになり、よくナースステーションに遊びに行っていた。私の記憶にナースステーションのテーブルに座り看護師さんに囲まれながら絵を書いていたり話をしている姿を覚えている。その時「大きくなったら看護婦さんになる」と言っていた事を思い出す。 そして退院した。小学二年生になり『将来の夢』を聞かれ看護婦さんと答えた。それ以降『将来の夢』をきかれると看護婦さんと答え続けて、現在看護師をしている。なぜ、看護婦さんになると言ったのかは覚えていないが、きっとその時看護婦さんの優しさに触れこんな人になりたいと思ったのだろう。

高校を卒業し、看護学校に入学。二年生になり、母の肺癌を発症。入院し手術。その後もコバルト療法や、転移もあり入退院を繰り返し、私の国家試験の合格を知る前に他界した。この時私を支えてくれたのは患者さんだった。「私をお母さんだと思ってね」と手紙をくれた人。くだらない話をずっと聞いてくれた人もいた。私は患者さんたちに育ててもらったと思っている。辛い時も嬉しい時もすぐそばに患者さんがいた。 だから私は看護師を続けているし、これからも続けて行く。私を育ててくれた、患者さん達に私は何をしてこれただろう。 また、何を返して行けばいいのだろう。

今40歳を迎え、老人ホームに勤めている。私は、私の関わる人が幸せな最期の時を迎えられるお手伝いができたらと思っている。病院で最期の時を迎えるのではなく、生活の場として老人ホームがありそこで最期のを迎える方も自宅ではないがながく関わることの出来る老人ホームでその人がその人らしく最期の時を迎えられるお手伝いができたらと思いながら日々看護している。

生活の場での看護は介護士が中心であるが、その中その方一人一人の本当の思いを日々の生活の中から見つけていければと思っている。  その人が本当に望むもの。それが見つけることが私のやりがいになっていくことになるだろう。私も、今あの時の優しい看護婦さんになれているだろうか?
看護師を目指したきっかけ

母を守って行きたい

2014.01.08
看護師 大阪府在住

私は小さい頃から、本を読むのが好きでした。3歳の頃から、アレルギー性気管支ぜんそくになり、学校を休みがちで、大阪府羽曳野市にある羽曳野病院で通院治療を続けました。小学生の夏休みに家庭の医学という、分厚い本を見つけて、全ページ読みつくし、医学に興味を持ちました。もっと無いの?・・と母に医学書をねだったものです。中学生になり、、学級委員、演劇クラブの部長、生徒会長など忙しい毎日の中、塾へ通う事も無く、ピアノのレッスンも止めて、進学を決める時、大阪府堺市の看護科がある白菊高校を受験して、奇跡的?に合格しました。

白菊高校の3年間は、普通の勉強と看護の勉強と、実習と、慣れない遠くへの、電車通学、発熱していながらも、祖母の見舞いに強制的に行かされ、悪化して10日間の入院生活。それは、それは心身ともに大変でしたが・・持病の喘息も、やがて落ち着いてきました。戴帽式なども経験して、白菊高校を卒業時、準看護師の資格を取りました。そして、奈良県の国立療養所西奈良病院の看護科に合格(今は統合されて名称は変わりました)2年間看護の勉強、実習、血を見ても、解剖の時も冷静である自分に驚きました。

唯一注射が苦手で、生徒同士で月一回ある、血液検査の実習相手が少なくなりました、幸い、学年で唯一の男性生徒、N君が、僕の腕を使っていいよ・・と言ってくれて、何回も何回もN君の腕を借りて、N君の両腕の血管は晴れて、血まみれになりましたが、注射は確実に上手くなりました。N君には感謝しています。素晴らしい教官にも巡り会えました。とても厳しい女性の教官でしたが、キビキビと何でも素早く対応して、生徒を正しい方向に導いてくれる神様の様な教官です。

頑張って主席の次で(主席はN君に譲りました)卒業して、看護師の免許も取りました。私が看護師を選んだのは、医学に興味を持ったこともありますが、3歳上の姉が私立大学に進学して、かなりの授業料を両親が払っていたので、私も4年生大学・・とは言えませんでした。そして何よりも、専業主婦の母を見ていて(母の事は大好きで尊敬しています)自立したいと強く思いました。母は体が丈夫でなく、よく辛そうにしています。低血圧で動けなくても、倒れるまで家事、炊事をします。姉や私に手伝ってとは、絶対に言いません。そこには、専業主婦で働いていないから、自分がしなくては・・と言う思いが有る様で、いつも我慢ばかりしています。私は看護師という、誇れる仕事をして、これからは、母を守って行きたいと強く思っています。
看護師を目指したきっかけ

病気の父

2014.01.08
看護師 東京都在住

私が看護師を目指したきっかけは、父が病気だったからだ。小さい頃から病院に行く事が多く、物心ついた頃には看護師になると決めていた。母が言うには当時、キャンディキャンディーというアニメが放映されていたのだが、そのキャラクターグッズを好んで集めていたらしい。病院で見かける看護婦さんを「看護婦さんは優しくって、綺麗ね]と話すものだから、気を良くした看護婦さんからハンカチやらお菓子やら、色々頂いていたそうだ。

それから、もう一つ看護師になりたかった理由がある。早く親から自立するため、手に職をつけたかったからだ。看護師は食いっぱぐれる事なし、そう考えていた。私にとって、親に頼らず生きて行くには、生きていく術であった。お陰で早くから、親元から自立し、自分で稼いだお金で自由気ままに生きている。看護師になって本当に良かった。勤め先ははいくらでもある。それに人の役に立つ。高齢化社会の時代になくてはならない職。これから超高齢化社会をむかえる日本ではビジネスチャンスは広がり、独立する事も可能。そんな仕事である。

やり方次第では可能性は無限大。旅行に行きたい末期患者や家で最後を迎えたいターミナル患者のお手伝いなどなど。需要は高い。介護予防の分野でも活躍できる。看護職は専門性の高い仕事である。だからこそ、その事がもう少し世の中に理解してもらえたらと思う。病院で働くナースは労働条件の悪い中、安い手当てでよくやっている。もう少し賃金に反映してもよいのではないか。人の人生に入り込んでお世話をするのだから。こじれた親子関係や身寄りのない独居の老人、疎遠だった親子や事実婚夫婦などなど。人生の最後にはその人の生きてきた人生そのものが見えてくる。

2時間ドラマが何本も作れる程だ。そうした患者の一人1人に向き合い、親身になってお世話をする看護師の姿をみていると、仕事だからという理由だけじゃ出来ないと思う。看護師自身もそうした仕事にやりがい、プライドを持ち、やらなければという奉仕の心がなければ務まらないだろう。看護師は真面目で優しい人が多い。私が幼い頃、優しくって綺麗に見えたのは、そうした清らかな心を持った看護師が多いからなんだなと思う。看護師になっても挫折する人も多いが、決して誰でも出来る仕事ではないし、向いてない人間もいる。現場で頑張っている看護師達は選ばれし人達なんだという事を多くの人に解って欲しい。そんな看護師達が活躍できる日が近い将来やってきたらなと思う。