看護師を目指したきっかけ

母を守って行きたい

2014.01.08
看護師 大阪府在住

私は小さい頃から、本を読むのが好きでした。3歳の頃から、アレルギー性気管支ぜんそくになり、学校を休みがちで、大阪府羽曳野市にある羽曳野病院で通院治療を続けました。小学生の夏休みに家庭の医学という、分厚い本を見つけて、全ページ読みつくし、医学に興味を持ちました。もっと無いの?・・と母に医学書をねだったものです。中学生になり、、学級委員、演劇クラブの部長、生徒会長など忙しい毎日の中、塾へ通う事も無く、ピアノのレッスンも止めて、進学を決める時、大阪府堺市の看護科がある白菊高校を受験して、奇跡的?に合格しました。

白菊高校の3年間は、普通の勉強と看護の勉強と、実習と、慣れない遠くへの、電車通学、発熱していながらも、祖母の見舞いに強制的に行かされ、悪化して10日間の入院生活。それは、それは心身ともに大変でしたが・・持病の喘息も、やがて落ち着いてきました。戴帽式なども経験して、白菊高校を卒業時、準看護師の資格を取りました。そして、奈良県の国立療養所西奈良病院の看護科に合格(今は統合されて名称は変わりました)2年間看護の勉強、実習、血を見ても、解剖の時も冷静である自分に驚きました。

唯一注射が苦手で、生徒同士で月一回ある、血液検査の実習相手が少なくなりました、幸い、学年で唯一の男性生徒、N君が、僕の腕を使っていいよ・・と言ってくれて、何回も何回もN君の腕を借りて、N君の両腕の血管は晴れて、血まみれになりましたが、注射は確実に上手くなりました。N君には感謝しています。素晴らしい教官にも巡り会えました。とても厳しい女性の教官でしたが、キビキビと何でも素早く対応して、生徒を正しい方向に導いてくれる神様の様な教官です。

頑張って主席の次で(主席はN君に譲りました)卒業して、看護師の免許も取りました。私が看護師を選んだのは、医学に興味を持ったこともありますが、3歳上の姉が私立大学に進学して、かなりの授業料を両親が払っていたので、私も4年生大学・・とは言えませんでした。そして何よりも、専業主婦の母を見ていて(母の事は大好きで尊敬しています)自立したいと強く思いました。母は体が丈夫でなく、よく辛そうにしています。低血圧で動けなくても、倒れるまで家事、炊事をします。姉や私に手伝ってとは、絶対に言いません。そこには、専業主婦で働いていないから、自分がしなくては・・と言う思いが有る様で、いつも我慢ばかりしています。私は看護師という、誇れる仕事をして、これからは、母を守って行きたいと強く思っています。
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