2014.01.08 看護師 埼玉県在住 44歳 私が看護師になろうと思ったのは父を亡くした時です。私の父は有機リン中毒で亡くなりました。自殺です。当時は有機リン中毒って言葉は知りませんでした。看護学校に行ってすぐに調べのもこの言葉です。なんで死んだのか、どうして死んだのか、その理由が知りたかったんです。内心、医療過誤じゃないかって疑っていたところもありました。だからどうしても父のカルテが見たかった、そんな理由から看護師になりました。たぶん、看護師になりたい理由って他の人と比べたら異質かもしれないですね。 父が亡くなってから一家離散って事がありましたが、絶対にカルテが見ることができるって強く信じてました。見れないかもしれないって想いはまったくありませんでした。もちろん、入学試験の時にはそんな事は言いませんでした。ずっと心にしまったまま、医師会の准看護学校へ行って、卒業後はすぐに父が入院した病院の看護学校へ進学。学生ではありましたが、准看護師の資格がありましたから、準夜勤務帯でバイトしてました。1年生の冬、バイト先が父が入院した病棟になりました。 こんな偶然あるんですね。カルテが見たい、その気持ちは変わらなくて思い切って当直先生に相談しました。ここでも偶然が重なり、カルテを探してくれて内容を見たら看取った先生が当直医で、私のことを覚えてたみたいでした。あの時の子が看護師になるんだ、そっか、もうそんなに時間が経ったんだと感慨深げでした。少し時間を頂いてカルテを見ました。しょうがなかったんだ、あれが最善の方法だったんだと理解できました。それからは、最先端の医療現場に身をおこうと思いICUやCCU、救命救急センターなどで経験を積んで来ました。いろんな偶然がたくさん重なって、父のカルテを見ることができました。 実はあと1ヶ月遅かったらカルテは医局から地下の倉庫へ移動されてしまうところでした。あとちょっとタイミングが悪かったら見ることは叶わなかったわけです。学生時代はただただそれだけを信じて心の支えにして実習やバイトをがんばって来ました。カルテが見れた後は、緊張の糸が切れたのか転んで足を骨折してしまい、仕事を1ヶ月ほど休みました。心の整理をするにはちょうどいい時間を作ることができたのではないかと思います。父の入院していた病院には11年間勤務していました。現在は製薬関係のデスクワークをしています。医療を外野からサポートする仕事です。どんな形にせよ、何らかの形で死ぬまで看護師の仕事をしてると思います。 |
看護師を目指したきっかけ | 医療過誤 |