看護師を目指したきっかけ

白衣の天使

2014.01.08
看護師 広島県在住

私は未婚で2児の母です。当時、上の子が1歳の誕生日を迎えようとしている時期に切迫早産で入院することになりました。上の子の面倒を見てくれる人を探しましたが誰もおらず市役所を頼り泣く泣く乳児院に預けることになりました。産まれて初めての記念すべき誕生日を一緒に祝ってあげることが出来ず側にいることも出来ず私は母親として失格だと自分を責めながら入院生活を送っていました。精神的にかなり落ち込んでいました。

そんな時に入院先の看護師さん達に子供を無事に産むことも母親として大切なことだということ、毎日優しい声かけをしてくださり精神的な不安を支えてもらい少しずつ前向きに考えられるようになりました。特定の看護師さんではなく来る看護師さん誰もが同じように接して下さり外来の看護師さんまでもが声をかけて下さいました。切迫早産で入院したおかげでというのはおかしい話ですが看護師という職業は奥深い素晴らしさがあるということを知ることが出来ました。

一人で2人の子供達を育てていかなくてはいけないこともあり手に職をつけたいとも思っていたので迷うことなく私も看護師になりたいと考えるようになりました。下の子が1歳の時に受験し看護学校に入学しました。社会人からの入学はとても厳しく何度も弱音をはきそうになりましたが准看護科2年間と看護科3年間の計5年間の学校生活を送り無事に看護師免許をとり看護師として働くことが出来ました。諦めずに頑張れたのは入院中にお世話になった看護師さん達のお陰だと思っています。

看護師になりたいと思ったきっかけが看護師さんにお世話になったからということに変わりはないですが私の場合は特別な思いがたくさん絡んでいるので目標とする看護師像や看護観もハッキリ見えており日々の仕事に励むことが出来ています。看護師も看護師である前に一人の人間です。実際に看護師として働いてみて患者さんにイライラすることもあるしなかなかスタッフの統一した看護というのは難しいと思える中であの時、私に関わってくれた看護師さん達は素晴らしいと思うしとても感謝しています。

今の今でも受診に行った時には当時の看護師さんに会いに行き話をすることもあります。看護学校を受験したいという相談もしたし学校に入ってからも実習に関する勉強を教えてくれた看護師さんもいます。そんな素敵な看護師さん達はなかなかいないと思います!本当の意味で白衣の天使に出会うことが出来ました。

 
看護師を目指したきっかけ

看護体験

2014.01.08
看護師 広島県在住 23歳

私が看護師を目指したきっかけは、高校時代の看護体験に参加したのがきっかけでした。それまでは、幼い頃からの夢だったとか、周りの人に看護師がいて影響を受けてなりたいと思ったというのは、ほとんどありませんでした。身体の方も健康に気を使っていたので、病院に入院した経験もありませんでした。むしろ幼い頃の夢は「保育士さん」や「花屋さん」など看護師とはあまり関係ない夢になりたいと思った時でした。

高校時代、将来の進路を決める話が出始め、高校卒業後の進路は「どうしよう・・・」と、毎日悩んでいました。そんな時に私の高校の友人から、高校生対象の看護体験があるから一緒に参加しない?と話を受けたのが、最初のきっかけでした。この話を受けて最初は「看護師かあ。テレビや本で見たことはあるけど、実際に見たことや聞いたことはないな。」と思いました。ですが、進路に迷っていたので、この機会に多くの職業を実際に見学したいと思い、友人とともに一緒に参加することにしました。そして、当日、看護体験に参加する日を迎えました。

なにせ初めての職業見学ということでしたので、当時の私と友人は緊張をしていました。そして担当の看護師さんが迎えにきてくださいました。「今日は遠いところから、参加してくれて本当にありがとう!」と笑顔いっぱいで話しかけてくれました。そして私達の緊張は一気にほぐれました。病棟見学から始まり、バタバタと忙しい看護師さんの様子を見て本当に看護師さんは忙しい仕事だなと少しだけマイナスなイメージを感じていました。

その後は看護師さんと一緒に、患者さんへの足浴を行いました。手が震えてどのようにすればよいのか全く分かりませんでしたが、担当の看護師さんが優しく丁寧に教えていただき、一生懸命に行いました。患者さんもとても高齢の方で「とっても気持ちいいよ。本当にありがとう」と心から笑顔で話してくださいました。その時に私は、「看護師さんってこんなにも、やりがいを感じる職業なんだな」と感動しました。そして、その後に、担当の看護師さんとお話をする時間があり、看護師としてのやりがいを教えてくださいました。

「看護師という職業は人の生命を預かる職業でとても忙しい重労働なお仕事です。ですが、その分、やりがいを感じ、患者さんとむきあい、笑顔を見れることが幸せです。」と教えてくださいました。そして私はこの言葉を聞いて「看護師になろう」と思ったのがきっかけでした。今は高校を卒業し、看護体験に参加した友人とともに、夢であった看護師という資格を無事に手にすることが出来ました。この出来事が私が看護師を目指したきっかけです。
看護師を目指したきっかけ

目標とする看護師

2014.01.08
看護師 東京都在住 30歳

私が看護師を目指したきっかけは、看護学校に入学してからでした。実は、私はもともと「看護師なんて絶対なりたくない。」と高校生まで思っていました。国家資格の仕事とはいうものの、有り難いことに健康体で生まれ育った私は、看護師さんにお世話になることは滅多になかったので、私の中の看護師のイメージというのは、医者の小間使い、というものでした。医者の指示で何でもやらなくてはいけない便利屋さん。失礼なことに、そんな風に思っていました。しかし、進路決定をしなければいけない高校3年生になり、将来の夢というものを持っていなかった私は、親や先生に散々しかられながら、渋々看護学校を受験しました。

将来なりたいものがないなら、せめて自分ひとりでも生活していけるように、手に職をつけなさい。それが母の言葉でした。物を作ることが好きだった私は、手に職、というので美容師や栄養士などをとろうかと思いましたが、それは仕事がなかなかないからと結局は大反対を受けました。看護師なんて・・・と思っていた私に、無理やり親が受験をさせたのです。なので、無事に合格したものの、最初のうちは全く身に入らない学生生活でした。ところが、病院での実習がはじまり、実際の看護師の姿を目にし、患者さんと関わる中で、私の看護師のイメージというものが180度変わったのです。

患者さんの苦痛を受け止めきれずに一緒に涙を流す看護師さんもいました。医者に意見をし、なんとか患者さんの状況を今より良くしようと奮闘する看護師さんもいました。自分は看護学生で受け持たせていただいた患者さんに、ありがとう、といわれました。勉強させてもらったのはこちらの方なのに、感謝されてしまい、頑張らないといけないと思いました。

医者の小間使いなんてとんでもない。医者の指示のもと動かないといけない部分はもちろんありますが、看護師の関わり方しだいで患者さんの状態、気持ち、表情が変わることを知りました。そしてその家族にも影響することも。知識も技術も必要。人としての感性も重要。自分はなんと失礼な見方でこの人達を見てきたのだろうと反省しました。それから、私の心は看護師になることに向かって一直線です。医者は頭はいいかもしれないけれど、24時間交代でもずっと患者さんを看ているのは看護師なんだ。看護師がしっかり看ていれば、患者さんが重症化するのを防げるかもしれない。痛みや不安、不満で仕方ない患者さんの気持ちも楽にすることができるかもしれない。そう思ったら、自分がそんな看護師になれるように頑張ろうと思ったのです。あんなに最初は嫌だった看護学校を無事卒業してからは、看護大学に編入までしました。

今となっては、私が最初は看護師になろうなんて微塵も思っていなかった話を同僚や先輩にすると驚かれます。臨床に出て6年、それでまだまだ半人前です、などど言うとしかられますが、まだまだ勉強が必要だと思うことは山ほどあります。これからも目標とする看護師になれるよう、頑張っていきます。
看護師を目指したきっかけ

いつか自分もそうなりたい

2014.01.08
 看護師 東京都在住 26歳 

私が看護師を目指したきっかけは幼い頃にあります。3歳のときにぜんそくで入院したことがありました。父は仕事をしていたので、たまにしか来られず、日中は母が来ることが多かったです。ただちょうど双子の兄弟が生まれて数カ月といった時期で、母も私にばかりつきっきりにはなれない状況でした。毎日、母が帰る頃になると、寂しくて大泣きしていたのでした。そんなとき、いつも看護師さんは私を抱っこしてくれて、窓が見えるところまで連れていってくれ、「ママ帰っちゃったけど、看護婦さん一緒にいるからね」と毎日私をなだめてくれたのでした。

また人見知りで同じ部屋の他の子たちとも初めはあまり話せなかったですが、そんなときも看護師さんは時間を割いて、私と遊ぶことを優先してくれました。また他の子も一緒にやろうと話してくれ、看護師さんのおかげで同部屋の子とも仲良くなれたのでした。その頃から医療職に興味を持っていたのか、小さい頃から病院関連のドラマを見るのが、好きだったようです。幼稚園の記憶などはあまりないのですが、入院中の記憶はたくさん残っていて、看護師さんのイメージが特に強かったです。

いざ看護師を目指そうと思ったとき、なかなか理数系の科目が得意ではなく、一度は方向を変えようかと思いました。そんなときに、ちょうど高校の姉妹校があるアメリカに1カ月ほど短期留学をしました。ホームステイをしていたお家のホストマザーは、看護師をやっていました。ホストマザーを見ていると、仕事もとても楽しそうにやっており、充実していると話をうかがいました。また、看護師は世界共通でどこでも必要とされる職業で、国によってやることができる技術などは異なりますが、看護師としての精神は同じだと感じました。

高校のときに、看護師体験にも行かせていただきました。同じ看護師を目指す、同い年の友達ができ、お互いに頑張って看護師を目指そうという意識が高まりました。また、その看護師体験を通じて、改めて看護師という職業に魅力を感じました。高齢者の方が多い病院でしたが、その患者さんにあった援助の仕方を考えたり、また患者さん自身にも自立の意識を高めるよう働きかけていて、患者さんによって対応を変えていたりなど、本当に気を遣う仕事だと思いましたが、それと同時にとてもやりがいのある仕事だと感じました。看護師さんもとても楽しそうで、確かに忙しく大変な面もありますが、私たちにも優しく指導してくださって、看護師さんも大変だけど、やりがいがあって充実しているとおっしゃっていたのをよく覚えています。いつか自分もそうなりたいと思えるような人が看護師さんだったのかと思います。
看護師を目指したきっかけ

私にも出来る事

2014.01.08
看護師 滋賀県在住 27歳

私が、看護師を目指したきっかけは、幼少時代に両親とよく救命救急24時などの現場の実録テレビを見て、考えさせられる事やテレビ番組を通して学び得るものがあった事が一番のきっかけでした。最初は、特に看護師という職業に興味はなく大変な仕事だと思っていました。しかし、何度かテレビを見る中で、生々しい現場に立ち向かう姿や最後まで諦めずに生きようと頑張っている患者さんの姿、その方々を懸命に救おうと努力し、日々立ち向かっている姿に感動し、かっこよく、素敵だなと感じ看護師という職業に少しだけ憧れ興味を持ちました。

憧れる一方では、命の重さや尊さ、その責任感などを感じるたびにプレッシャーが強く、自分には向いていないと思う事も多々ありました。また、そのような場面に遭遇した時に立ち向かって行けるのか不安でもありました。何度かテレビを見るうちに、人工呼吸器に繋がれながらも必死に生きようと頑張っている患者さんの姿や小さい頃から好きな事を我慢して病気と必死に闘っている子供の姿など『生きたい!!』と必死に闘っている姿に心をうたれ、徐々に何か私にも出来る事はないかと思うようになりました。

私が、想像していた看護師の仕事とは、点滴や怪我などの処置、患者さんの状態観察などの医療的な看護を行ったり、食事介助やおむつ交換などの介護を行う事が看護師の役割、仕事だと思っていました。しかし、テレビをみているうちに治療や医療的な看護、介護を行う事も大切だけど、それ以外にも看護には、その方に寄り添い話相手になる事で不安を和らげたり、気持ちを沈める事が出来たり、体に触れ擦ったり、温めたりする事で痛みを和らげたりする事なども看護の一つであり、こんな形でも人を救う事が出来るという事を学びました。

命と向き合う事は、決して容易な事ではなく、悩む事も多いとは思います。命の重さに耐えられない事も出てくると思います。しかし、こんな私にでも患者さんに寄り添う看護なら私にも出来るのではないかと思うようになりました。例え小さな事でも、私にしか出来ない事で多くの人を救って行きたい、その方の手助けをして行きたいという気持ちが徐々に強くなりました。実際に、私自身に何が出来るか分らないけど、懸命に闘っている方と共に闘い、寄り添い立ち向かいながら、一人でも多くの方が回復して行ったり、一瞬でも痛みや苦痛から緩和できたり、忘れる事が出来るような看護を行って行きたいと思った事が看護師を目指すきっかけでした。
看護師を目指したきっかけ

ニジェール体験

2014.01.08
看護師 神奈川県在住 34歳

アフリカの子ども達のために働く、日本人ナースに憧れて目指した看護師。小児科で働く母が病院でも皆から頼りにされてテキパキ働いている姿もかっこいいと憧れた。ナースってかっこいい。私もそんな大人になりたい、人の役に立つ人間になりたいと思った。晴れて看護師資格を手にし、病院に就職。手術室に配属された。覚えることだらけで、本当に大変だったが、チームの一員として働くのはとても楽しかった。

手術室経験を経て、さらに留学して熱帯看護の勉強もして、私でもナースとして少しは役に立てるかもしれないと少しの自信を胸に訪ねた念願のニジェールは、飢饉のまっただ中。飢餓に苦しむ沢山の子ども達を前に、命の不平等さを目の当たりにし、ただただ苦しかった。ナースになれば人の役に立つことができると夢見て、実際に日本では患者さんから「ありがとう」と言ってもらえることに満足してきた。でもニジェールでは何もできない自分を突きつけられた。栄養失調児の療養施設で子ども達に食事を配ることくらいしかできなかった。

私の憧れだったナースは、そんな中で何十年も彼らと共に生きてきたのだと知った。現地のお母さんたちに手洗いや栄養の知識、病気を予防することの大切さを伝えるため村々を訪ね、病院に来ることのできない患者さんのスクリーニングや簡単なアドバイスをし、時には識字教育にも携わっていることを知った。気の遠くなりそうな、地道で地味な仕事だった。でも、それも大切な看護の仕事なのである。

私は夏休みのたった1ヶ月の滞在で、看護師としての自分の使命を改めて考えさせられた。貧困問題、住民への教育の大切さ、病気の予防の大切さ、そして医療システムの重要性、医療が受けられる環境づくり、働く保健人材の量と質の確保、そんな列挙し始めるときりがなく、あふれるほどの課題のなかでも、世界中でナースが働いていることを考えると力が湧いてくる。アフリカで働くナースも日本で働くナースも、それぞれにいろんなきっかけでナースになっただろう。生きて行くための手段として仕方なく働いている人も居るだろう。でも、世界中のナースがそれぞれの場で患者さんや人々のために精一杯働いていると考えるとき、その一員であることがうれしい。

私は今、ナースとして世界中の女性が無事に出産できるよう、子ども達が無事に生まれてこれるよう、そしてそのサポートをする医療者が質の高い医療や看護を提供できるようになるために、研究者の卵として勉強を続けている。
看護師を目指したきっかけ

些細な一言

2014.01.08
看護師 神奈川県在住 39歳

私が看護師を目指したのは些細な母の一言でした。私が小学生の頃「これからの時代女も手に職がないといけないから、看護師でも目指しなさい」 小学4年生の頃でした。普通言いませんよね、こんなこと。母も言われたそうです、私の祖母に「看護師になりなさい」と。でも母は血を見るのがイヤだからと断ったそうです。

私は大きな病気をすることもなく育っていたので、看護師の仕事内容がどんなことでと深く考えたこともありませんでしたし、断る理由も見当たりませんでした。そしてその当時目標なんてなかったので、まあそれでいいかという単純な思いで看護学校まで進み、現在に至ります。こんな単純な理由で看護師を目指した人がいるのか?と考えると恥ずかしくて口に出したことはありませんが。

初めて就職するという時に「私の看護観」という課題でレポートを提出することがありました。さすがにこんなことは書けませんでしたが「子供の頃熱を出して嘔吐した時に優しくしてくれた母。母のように愛情を注げるような看護師になりたい」と書いた覚えがあります。もちろん嘘ではありませんし、患者さんや利用者さんの目線でお役にたてるよう頑張っているつもりです。

現在は子育て真っただ中であり、単発でデイサービスのお仕事をお引き受けさせていただいています。行った先々で「他でお仕事されていなければ是非うちで働いてくれませんか?」と声をかけていただきます。利用者さんとお話することも多く、たくさんのことを学ばせていただけるデイサービスの仕事。病院とは違い「治療」の場所ではないのですが、既往歴が多々ある方が多く再発の危険が予測される場所でもあります。病院で働いていた時の知識、そして経験が役立つところですし、看護がたくさんあると思います。

病院やクリニックで働くのが看護師ではないと思い、誇りを持って働ける場所だと信じている私。これからも、多くの方々が安心して利用できるような看護を提供できたらと思います。母の些細な一言で資格取得をした私が、20年も仕事をすることができているなんて、驚きです。もちろん何度も職場を変わってきましたが、それでも看護師という仕事が好きですし、これからも続けていきたい仕事です。子供がいても働く時間帯も融通がきく仕事ですし、目指したきっかけよりも続けていきたいと感じる仕事を選択できたことに感謝し、これからも楽しく仕事がしたいと思う私でした。
看護師を目指したきっかけ

おばあちゃん、ありがとう

2014.01.08
看護師 神奈川県在住 51歳

大好きな、祖母と同居を始めたのは、私が小学校2年生のときでした。保土ヶ谷から今の地に引っ越してきて、あまりの環境の変化に子供心に辛く感じていました。保土ヶ谷は、自然豊かで懐かしい場所ですが、今の地は工場地帯で辛い場所に感じていました。多田、祖母のことはとてもとても大好きで、引越しの辛さをわすれさせてくれました。程なく祖母の母屋で私は一緒に寝起きを共にするようになりました。新築の自宅にはほとんど寄り付かずに、祖母との時間を大切に思うような子供でした。

そんな祖母と一緒にお風呂に入って、背中を流しっこしたり、手作りのところてんを作ったりと思いでは今でも尽きることはありません。その思い出の中でも、祖母の通院している病院に一緒に付き添っていくことが私の日課でもあり、沢山の祖母との思い出につながっていると感じています。幼心に祖母の役に立ちたいという気持ちが芽生えて、高校生になった頃はっきりと、ナースの道を目指そうという、目標に変わりました。ちょうどその頃、祖母の体に異変が現れ何度かの入院、検査の結果、「肺がん」が見つかり余命宣告を受けました。

母と祖母の決断で自宅療養の道を選んで、とても困難な療養が続きましたが、祖母にとっては自宅で最後のときを迎えることが出来た選択になったと、今でも良かったと思っています。結局まだ高校生の私は何も祖母にしてあげることが出来ず、ただただ、痛がる祖母をさすってあげることしか出来ませんでした。それでも祖母は母にさすってもらうととても痛みが和らぐと話していたそうです。そんな祖母が自宅で亡くなり、改めてナースの道を目指して、現在は母とお姑さんのW介護を担っています。

私は祖母が終末期に、何も出来ない高校生の私の「手当て」で少しでも痛みが和らぎ癒してあげられることが出来たということを教えてもらえたので、ナースになった今でも、そのことは、常に忘れることなく、仕事を続けられていると思っています。祖母にナースとして何もして上げられませんでしたが、そのぶん、家族や患者さんに「手当て」が出来るナースでいようと今も思って続けています。それはこれからも変わらない気持ちです。すごく祖母には感謝しています。困難だけれどもとても素敵なナースの道を選ばせてくれた「おばあちゃん」本当にありがとうございました。これからもがんばり続けていこうと、こころから思っていますよ。みていてくださいね。

 
看護師を目指したきっかけ

母の背中

2014.01.08
看護師 秋田県在住 28歳

私が看護師、というより医療の道を目指したきっかけは母です。母親が看護師で、自分も看護師になったという人は多いかと思いますが、私自身もまさにそのとおりです。 しかし、小さい頃はただ漠然と「看護師になりたい!」と思っていました。現実的に看護師を目指すきっかけとなった出来事があります。それは、私が大学1年生の頃のことです。すでに、医学部で看護学を学んではいたのですが、このまま看護になるべきかどうか迷っていました。そんなときに突然、祖母が心筋梗塞のため倒れました。

私が駆けつけたときには病院のベッド上で意識のない状態でした。結果的に4ヶ月の入院の末亡くなったのですが、そのときの母の行動・言動が忘れられません。母は、その当時、仕事をしていて(現在は定年退職しましたが、私を出産後に保健師に転職しています。)、毎日忙しいにもかかわらず、毎日祖母の病室に泊まりこみ、看病をしていました。祖母は挿管され、意識がない状態でしたが、母は毎日たくさんの言葉をかけていました。天気の良い日にはカーテンを開けて「おばあちゃん、今日はいい天気だよ。」、花火大会の火には「今日は花火大会なんだって。ここ(病室)から見えるかな。」などと日常生活と変わらない言葉をかけていた姿が忘れられません。

看護学を学び、人間の聴力は最期の時まであるということは分かっているつもりです。しかし、母の看護は論理とか病態とかではないのだと思いました。心からの愛で祖母を看病していたのだと思います。結果的に祖母は亡くなってしまいましたが、とても穏やかに眠るように亡くなりました。フルタイムで働きながら、主婦業も行い、祖母の看病・・・。自分も働くようになった今では、母の大変さは相当なものだったと思い出されます。

看護師として病棟で勤務するようになって、様々な患者様、ご家族様を看護させていただきましたが、そこまでできる家族はなかなかいなかったように思います。祖母が元気だった頃からの、嫁姑関係が良好だったということもあると思いますが、看護は愛なのだと思うようになりました。 私は、看護師として勤務していましたが、結婚・出産と経て、今は母と同じように保健師の道に進みました。病棟と違い、地域では医療以外の知識も求められるため日々勉強です。正直、今の私は母のように仕事・主婦・母親の役目を上手にこなせているとは思いませんが、母を目指して日々奮闘しています。
看護師を目指したきっかけ

出会い

2014.01.08
看護師 北海道在住 33歳

私が看護師を目指したのは小学校4年生のころだった。親友が看護師になりたいといった一言が気になり、看護師に興味を持っていった。当時テレビで看護師の仕事の特集をやっているとかかさず見ている自分がいた。人と人のつながりの中でやりがいがあることやこれからの社会に必要とされる職業だということがとても魅力に感じた。そして、身内にだれも医療関係の仕事をしている人がいないから、自分が看護師になったら少しでも役に立てるのではないかとも思っていた。その気持ちは今も変わらない。

高校受験のとき、衛生看護科の高校進学を考えたが担任の先生に『進路を決定するのは、普通高校にいって視野を広めてからでも遅くはない。』といわれ確かにそうかも知れないと思った。地元の普通高校に進学後も看護師になりたいという思いは変わらなかった。ずっと看護師になると言い続けていたから、家族も快諾すると思っていた。進学について母と話したとき、「本当に看護師になるの?おしものこともするんだよ。大変だよ。介護士もいいんじゃない?』ととても心配してきた。

確かに看護師は大変だというのはよく耳にするが 当時の私には全く問題にならなかった。『大変かもしれないけれど、実際に働いている人がいるんだから私にもできるよ。』と答えたのを今でもはっきり記憶にある。まさかの母の反応に私も強気になり それ以降母は何もいわず 一番応援してくれた。進学した学校は地元から遠く、私は寮生活だった。入学式に父母は来ない予定だったが、ホームシックになった私を心配して忙しい中父が来てくれた。いつも口数の少ない父が『脱線するんじゃないよ」と優しくいって帰っていった。がんばれという思いをとても感じて私は胸が熱くなった。

看護の勉強や実習が始まり とにかく今までで一番勉強をした時期だったと思う。人と向き合いながら自分自身とも向き合うことがつらく感じることもあった。その度に看護師になるかならないかの選択にたつこともあった。1クラス30名でスタートした仲間が一緒に卒業したのは 10数名で途中で新しい道に進んだ友人も多かった。私の看護師を目指したきっかけは、ドラマチックな出来事が特にある訳でもないが、自分で決めたという気持ちが何より強かったこと 家族が応援してくれたことが、何より乗り越えられたエネルギーだったと思う。

今振り返ると、自分の気持ちを確認するきっかけをくれた、中学の担任の先生や母がいなければ 今の私はなかったかも知れない。 看護師になるといった親友は、その後夢が変わったがいつも新しい価値観にふれさせてもらっている。親友との出会いに感謝したい。