私の看護観

「人として」

2014.01.08
看護師 沖縄県在住 29歳

「私が大切にしていること」それは入職した時から変わらず、「患者を想う家族にまで、しっかり目や心を配りお支えすること」。患者さんは自身の治療や闘病生活に加え、自身を一心に支えてくれる家族に対し、感謝の想いを抱くと同時に、申し訳ないという想いも必ず持っている。私たち看護師は、そのような患者心理にも目を向け、ご家族に対してしっかり向き合いサポートすることが求められている。患者さんも、患者さんを支える家族も、私たちの看護の対象であるという事を常に忘れてはいけないと考える。

看護とはプロフェッショナルな職であり、生涯、学び続けなければ患者の想いや期待には応えられない。看護師は卓越した専門知識・技術を必要とするが、まずは「人として」という土台をしっかり養わなければならいと考える。その上に成り立つ職業人としての看護師でありたい。ナイチンゲールの言葉に「この世の中に看護ほど無味乾燥どころかその正反対のもの,すなわち,自分自身はけっして感じたことのない他人の感情のただなかへ自己を投入する能力を,これほど必要とする仕事はほかに存在しないのである」という説がある。

技術や知識では決して満たすことが出来ない、「人として」どう感情を汲みとるとるのか、どこまで「寄り添った想い」に触れられるか。私たち看護師は人として患者さんに寄り添い、知識を持ったプロとして対応をする。オスラ-もまた「医療はアートであり取引ではない。使命であって商売ではない。その使命を全うする中で、あなたはその心を頭と同じくらい使うことになる」と述べている。私たちに求められているのは、「人としての心」なのである。その心に触れた時、患者さんは「この人になら・・・」と安心感を抱き、また自身を看護師や医療者に委ねる事が出来るのだと思う。

私の看護観は、「人として」という言葉に尽きるのかもしれない。私たちが向き合っているのは、「人」なのだから。人間性を兼ね備えたプロこそ、看護師である!と私は思う。先輩や指導者は後輩や学生に「プロとして観る」とはどのような事なのかしっかり伝えていかなければならない。患者さんをプロとして観るためには、どこをどのように観ることなのか、1つ1つ丁寧に伝えていくことが大切であると考える。全人的に患者さんを観るとはどのようなことなのか、そこには卓越した知識や技術が必要で、「人として」だけでは事足りないのである。

看護師にとって、大切なモノは何か。1つの角度からではなく、多角的に考え追求していく必要があると考える。私たちが、患者さんと向き合う時と同じように。
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